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先週、サイバー適塾(関西経済同友会のリーダー養成塾)で、ダイワハウスの樋口武男会長のお話をお聞きました。樋口会長は、ご著書の「熱湯経営」(経営者が書いた本では9万部も売れています)で経営への熱い姿勢を語っておられますが、その熱量に感染する、お話でした。

その中に、「運の強い人の生き方」という言葉がでてきました。
そもそも 運が強い ってどういう意味でしょうか?
お話には出てこなかったのですが、私自身は 運が強い というのは自分の思い通りのことが起きることやツイテルことではなく、「偶然を必然に変える力」ではないかと思っています。

あのときの出会いが、あのときのひと言・情報が、また逆にピンチとしか見えなかったことが、そのときに意図していたか否かに関係なく、後で考えると 今をつくっている ということがあるのではないでしょうか。
それも何もせずに流されたのではなく、自分が動いたことで後の展開につながっている・・・偶然ではなく必然。あのきっかけがなければ今につながっていない、これが 「偶然を必然に変える力」 だと思います。
樋口会長のお話の中にも、人との出会いやピンチを必然に変えていることを強く感じましたし、私自身も常に動く現場で、偶然を必然に変えていくことがありました。

大学院で、キャリア形成論の中の 「計画的偶発性理論」(計画的にキャリアを創っていくのではなく、偶然の出会いやきっかけを主体的に自らの力に変えていく) に出会い、妙に腑に落ちました。
人生で出会った人、成功、ピンチから学び、人生を主体的に創り上げることなのかもしれません。

さて、樋口会長の ”運の強い人の4つの力” は 「先見力」「統率力」
「判断力」「人間力」でした。
加えて、「人間の資質は変わらない、やる気になるかどうか。」
「気持ち次第で人生は変わる。無駄な努力はない。」といったメッセージもありました。

道教の「運は全ての人に平等なり。運なきは運を知らざるなり。」という言葉がありますが、改めてその意味を噛み締めました。
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ここ数日、各地での桜の開花のニュースが聞かれるようになりました。
昨日は大学の卒業式も多かったのではないでしょうか。着物や袴姿の女子学生を見かけました。

さて、「学習スタイル」についての続きです。
H.ガードナー博士は、人間の知能を8つに大別しています。
 
 1 言語的知能 (読む、書くなど言葉に関する活動の知能)
 2 論理数字的知能 (データ、数字、論理的思考関する知能)
 3 空間的知能 (パターン、空間、立体的把握に関する知能)
 4 音楽的知能 (音、リズムなどの反応に関する知能)
 5 身体的運動知能 (身体、運動に関する知能)
 6 対人的知能 (他人とのコミュニケーションに関する知能)
 7 内省的知能 (自分とのコミュニケーションに関する知能)
 8 自然学的知能 (外界の感受性に関する知能)

この8つの知能への当てはまりで自分の得意分野を知ることができますが、その得意な知能に併せて学習のスタイルを選べば効果的。

例えば、野球を学ぶときに、読んだり書いたりを通してが吸収の早い人(言語的知能) はルールブックから、体を動かしながら体験することで学ぶことが吸収の早い人(身体的知能・対人的知能) は、まずはゲームをしながら身につけるなどが考えられます。
また、勉強のメモも、手を使いながら図で書いた方が吸収の早い人は(空間的知能) は文章よりもイラストや図で把握したほうが理解が早いでしょう。
こんなふうに、自分の得意な方法で身につけたほうが、習得はずっと楽なもの。

みなさんはどのスタイルですか?

子供はみんな天才で、知能は伸ばし放題。
統合加速学習法では、人間の五感を伸ばせばみな天才で、目(色)は画家、耳は音楽家、口(言葉)は作家、手は彫刻家、身体機能はオリンピック選手と言っており、その能力を伸ばす方法が研究されています。
才能の開花は、能力自体よりも能力を伸ばす方法がポイントのようです。

しかし、今の学校での学習スタイルは言語的知能と論理数字的知能からのアプローチがメイン。
もしかしたら子供達が身につけられないのは、学習スタイルが合わないからかもしれません。

この8つの知能はどんな職業に就いても大事ですから、小さい頃から磨きたいものですが、大人になった今は、それぞれに得意な知能の違う人たちとチームを組むことが効果的でしょうか。
ここ数日、あったかい日が続きますね~。
昼間はひと足早く春になった気分ですが、朝夕はまだまだ肌寒い。
体調管理に気をつけて、楽しい春を迎えましょう。

さて、こう暖かいと桜の開花が早くなりそうですが、この開花、どのようにして予想するかご存知でしたか?

「温度変換日数」というものを積算して、予想を行うらしいです。
この温度変換日数とは「標準温度」が15度で、その前後の温度と比較して、花芽の成長速度を日数で計算するとのこと。
例えば、1日の平均温度が5度の時は、温度変換日数は、約0.3日となり、平均温度が15度以上の場合は、温度変換日数は、約3.3日で、計算をスタートする起算日(例えば、2月1日など)から毎日の温度を日数に直し、それを積算していって、開花を予想するのです。

開花するまで必要な温度変換日数は、1961~1990年の開花日と気温のデータを利用。
ちなみに、昨年の神戸の桜の開花は3月29日で、2月1日からの積算温度は697.9C。

桜の花の中で日々の温度が蓄積され成長していき、ある飽和点を越えると開く・・・という仕組みだとも言えるのでしょうが、これって英語を勉強していると、ある日突然、英語が聞き取れるようになるというのと似ていませんか。

何かを学んでいて、知識や情報がある飽和点を越えると一気に自分の中で理解できたり、結びつけたり、応用ができるようになったりすることがあるように感じます。
花開くまでは、ある程度のインプットが必要ということでしょうか。

また、桜の花芽は、「休眠打破」というプロセスがあるのも面白い。
春に開く花芽は前年の夏に形成され、その後は「休眠」という状態になり、休眠した花芽は、一定期間、低温にさらされることで、眠りからさめ、開花の準備を始める・・・これを「休眠打破」というそうです。
秋から冬にかけて一定期間、低温さらされることが重要なポイントらしく、寒暖の差のないあたたかいところでは、さくらは美しく花開けないとのこと。

厳しい状況や環境にさらされることも、美しく花開くには必要だと思えば、なんだか気分も楽になりそう

しかし、花開くまでの学習はできるだけ効果的にしたいもの。
これには、3つポイントがあると思います。

ひとつは、一人で勉強するよりも“仲間で勉強する”方が効果的。
大学院のゼミは数名で実施していますが、他の学生の発表やアドバイス・やりとりが、かなり参考になることがよくあります。他の学生へのアドバイスを聞きながら、より理解が深まるようです。
また、適度な緊張感があり、宿題のやってくる率も高いです(笑)。

2つめは“誰に習うか” で、その時の自分にあった先生に出会うこと。
あまりに優秀な先生は、生徒が何が解らないかが判らないという笑い話もありますが、有名かどうかではなく、先生の考え方、教え方のスタイルなど、自分と合う先生から習った方が効果的。
私の場合は、その先生との時間が楽しいかどうかも大切なポイントです。

3つめは、自分に合った“学習スタイル”をみつけること。
これは、次回にご紹介します。

考える力

年度末に向け、さまざまな委員会やプロジェクトが仕上げの時期に入っています。
先日、アドバイザーとして関わっているプロジェクトの成果発表会がありました。

その振り返りの席で、プロジェクトメンバーから、「満足できる内容なのですが、最初から先生に具体的な方法(答え)を教えてもらっていれば、内容の質を高めるために時間を使えたようにも思います。」との感想がありました。
限られた時間の中で、かつ他の仕事をやりながら結論を出すものでしたから、その気持ちは判りますが・・・。

私は、アドバイザーで関わる場合、「教えすぎないこと、一緒に考えること」を大事にしています。(よく、言われていることですが。)
まずは基礎を教え、その後は相手の理解度や状況に併せて、問題の解き方や次の展開を、手を変え品を変え伝えます。また今の時代、問題の解き方もひとつではなく、私の知っていることだけがふさわしいとも限らないので、一緒に考えながら進みます。

やり方(How to)を教えてもらう方が簡単でよさそうなのですが、そうなると問題を解くために深く考えること、「何(What)」 と 「なぜ(Why)」 の2つが抜け落ちてしまいます。
How to も確かに大事ですが、What と Why が抜け落ちると、その時はわかったような気になりますが、他のケースに遭遇すると、実は全く応用が利かないのです。

そして、結果がでないからと、別なHow to を求めて、渡り歩くようになります。しかし、What と Why は時間がかかることが多く、敬遠されがちですね。もしかしたら、What と Why を考える方法がわからないかも・・・?

今回もそうでしたが、最初は苦しく、何度もやり直しを繰り返すのですが、ある時期を越えると、急に全体が見えてきて、解けるようになってきます。こうなるとしめたもので、こちらのアドバイス以上のものを作ってくるようになります

このやり方は、こちらも数倍大変なのですが、やり終えた後の成果が明らかに違うのです。
考える力や方法が身につくだけでなく、自分達で結論を出したという体験は、自信にもつながります。
自信をもって発表するメンバーの顔と、「次もできそうだ」 「考えることの意味がわかった」 との感想を聞きながら、あらためて教えすぎないことのパワーを感じると共に、頑張った私にもご褒美!でした。

理論と実践

ここ数日も寒さの厳しい日が続きましたね。絵文字名を入力してください
私はまたまた風邪をひいてしまい、何枚もカイロを貼り付けながら仕事をしています。同僚の先生方からは「働きすぎなのと違う?」と言われ
・・・そうなのかなあ~

今月は修士・博士課程の入学試験と修了試験に関する仕事でかなり忙しい月です。 
忙しいながらも、改めて社会人大学院の面白さと意義を感じています。
私の属する大阪市立大学創造都市研究科は、社会人しか入れないユニークな大学院です。
世の中には社会人も入れる大学院はありますが、うちの大学院はその逆で、社会経験(3年以上)のない方は原則入学資格がありません。
机上の空論ではなく実践的な研究、社会の問題を解決できるような大学院を目指しているからです。

「理論なき実践は盲目であり、実践なき理論は空虚である」は神学を発端にする有名な言葉であり、私も常に頭にありますが、この言葉に通じるものがあります。

私自身も29歳で社会人大学院に進みましたが、「学ぶことってなんて面白いのだろう。」と感じたのは、実はこのときからでした。 誰かに強制されたり、試験や資格などのためではなく、問題意識を持って自発的に進学したからだと思います。
大学院では自分の問題意識を解決する面白さ、そして何よりも先人達のさまざまな研究にふれるたびに驚愕しました。自分の問題意識や体験が、すでに体系化され整理されている!
・・・素晴らしい研究に触れたときは、頭ではなく心が震えることも知りました。

また、「知識は力なり。」とはベーコンの言葉ですが、知識を得ることは最初からの試行錯誤をスキップし、先人達の肩からジャンプスタートすることだと思います。
勿論、イチローのバッティングを理論的に研究しても、イチローと同じバッティングができるわけではありませんから、知識だけあってもそれが力になるわけではありません。自分なりに試してみること、体験を通じて自分なりの思索を発展させることで、はじめて知識は力になるだと思います。日々の実践と思索が大事なのかもしれません。

「思索なき生活は盲目である。生活なき思索は空虚である。」       (淡野安太郎『哲学思想史』より)

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